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    「『戦争しない』が原点」/日弁連が憲法施行70年記念式典/識者ら安倍改憲案に危惧

     総選挙での圧勝を受け、自民党内では来年通常国会に改憲案を提示するとの声が出始めた。既に安倍首相は、戦争放棄、戦力の不保持を定めた憲法9条に自衛隊を明記する案を打ち出している。日本弁護士連合会がこのほど都内で開いた日本国憲法施行70年記念式典ではこうした動きに警鐘を鳴らし、「『戦争しない』が憲法の原点」との思いが語られた。

     

    ●「人々の思いの総体」

     

     これまで何度も改変の波を受けながら、持ちこたえてきた日本国憲法。青井未帆学習院大学教授(憲法)は「国民の気持ちの総体として守ってきた。その出発点が『戦争しない』という思いだった」と語った。

     かつて国民の命は「鴻毛(こうもう、鳥の羽の意味)より軽し」とされ、アジア太平洋戦争では300万人の国民が死んだ。この痛苦の反省から戦後、「国のために殺さない、殺させない、殺されない」という価値観の現憲法に変わった。しかし、首相の言うように自衛隊を憲法に明記すると「価値観が百八十度変わるのではないか」と同教授は危惧する。

     その理由はこれまで積み重ねてきた政府解釈のつじつま合わせが破綻するからだ。「自衛隊は必要最小限度の実力組織だから憲法が禁じる戦力ではない」などの理屈が、自衛隊の戦争参加への歯止めになってきたが、軍隊として認めれば歯止めはなくなるとの指摘である。

     政策にも影響が及ぶ。戦力を放棄した現憲法には軍隊に関する規定はなく、防衛は「一般の行政作用」の扱い。だから、「敵前逃亡は死刑」という普通の国にある軍刑法や軍法会議はない。南スーダンでの紛争など自衛隊の派遣先で起きた事件も特別扱いされずに報道される。武器輸出三原則や非核三原則、武力によらない国際貢献など、軍事力の行使には抑制的な姿勢を保ってきた。世界各地の紛争に直接関与していないために、軍縮を主導し得る立場にもあるという。

     しかし、自衛隊を軍隊として憲法に明記すれば海外での本格的な戦争に道を開き、平和国家として積み重ねてきた一連の政策も転換されることになる。

     青井教授は「政府はこうした問題を説明しないだろう。だから、私たちの側から問いかけていかなければならない。多くの人が命を落とし傷ついた、その結果が日本国憲法。忘れてはならない」と語った。

     

    ●「壮大なチームワーク」

     

     戦没画学生の遺作を展示する「無言館」館主の窪島誠一郎氏は自身の生い立ちを振り返った。生後間もなく、貧しい靴修理工の養父母に育てられ、戦後は焼け野原の東京で「地をはうような生活」を送ってきた。高校卒業後、いくつかの職を経て、自宅で飲食店を開店。高度経済成長の波に乗り、店は繁盛した。

     早世した画家の作品を展示していたところ、ある画家から「戦没画学生の絵を展示できないか、放っておけば彼らの作品は消えてしまう」と勧められ、始めたのが無言館だ。

     館内に恋人の女性を描いた作品が展示されている、一人の画学生について語った。応召され、家の外では出征兵士を送る祝賀会が開かれて「天皇陛下万歳」の声が響く中、「あと5分、あと10分、この絵を描かせてくれ」と自室で絵筆を動かし続けた。「小生は必ず生きて帰ります。この絵を描くために」と書き残して出征。願いかなわず、フィリピンのルソン島で戦死した。

     窪島氏は、無念の死を遂げた画学生らの境遇と、戦後の平和を謳歌(おうか)した自身の歩みとを対照的に振り返りながら、こう語った。

     「高度経済成長期を、スナックのマスターという、薄氷の上を歩いてきたような自分を振り返ると、どこかで見守ってくれた憲法があり、もっと言えば、その憲法を育てようと、平和を満喫しようとした人間たちの大きな大きなチームワークがあったのではないか」

     

    ●わずか76年前のこと

     

     日弁連は施行70年を記念して憲法ポスターを公募した。大学生・社会人の部では中川浩之さん(80)が金賞を受賞。憧れの兵隊の装いをした幼い頃の写真を手に、「子どもの頃の夢がかなわなくて、よかった。この憲法があったから」との題辞を添えた。

     中川さんは「撮影された昭和16年当時、男の子たちは皆、将来の夢は兵隊さんと答えていた。夢は本来、かなうよう願うものだが、かなわなくて良かったと写真を見てしみじみ思った。戦争を体験的に知る政治家が少なくなり、今の政治状況には強い危機感を持っている」と語った。

     講評して絵本作家、長谷川義史さんは「作者が、日本国憲法がない時に生まれていることに、今更ながら驚いた。今は当たり前に思っているが、この憲法があったことに思いを至らせてくれる作品だ」。