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    憲法適用されない沖縄の現実

    ジャーナリスト 米倉外昭

     日本国憲法施行72年、沖縄の日本復帰から47年を迎えた5月。この二つをめぐる沖縄の現実と県民の複雑な思いを、沖縄在住のジャーナリストに聞いた。 

    〈写真〉米軍基地の整理縮小を求めて8万5千人が参加した県民集会(1995年)


     沖縄にとって憲法とは何だろうか。

     1972年の日本復帰は平和憲法をいただく日本への復帰を願った、長年にわたる運動の結果だった。しかし、沖縄の人々の「基地のない平和な沖縄」という望みは裏切られ、広大な基地は残され、海も空も米軍の自由使用の下にある。そして今、貴重な自然を破壊して新たな基地建設が強行されている。

     少なくとも基地政策を巡っては、沖縄には憲法は適用されない。この現実を表現するものとして「構造的差別」という言葉が一般化している。

     沖縄に過重な基地負担を押し付け続けていること。その改善・解消を求める民意を踏みにじっていること。米軍の特権を許し、米兵犯罪や爆音などの基地被害を野放しにしていること。これらは沖縄においてのみ、顕著に表れている。これは日米両政府と多数派である日本国民による植民地主義であり、構造的差別であるという理解である。

     

    日米による「構造的差別」

     「構造的差別」は沖縄現代史研究の第一人者で昨年亡くなった新崎盛暉氏が提唱した概念である。単に現在の基地の過重負担のみを指すものではなく、米国・日本・沖縄の関係において戦後史を貫いて存在するものと捉えている。

     すなわち、象徴天皇制、日本の非武装化、沖縄の分離・軍事支配が三位一体となって、「構造的沖縄差別の上に成り立つ対米従属的日米関係」を形成していると規定したのである。

     国民主権を根幹に置き、当時の最先端の人権条項を備えた日本国憲法の意義は重要である。一方で、日本国憲法は、第1章(1~8条)で象徴天皇制という形で天皇制を温存し、第2章(9条)で日本を武装解除するものでもあった。これは、沖縄を軍事要塞化して米軍の軍事活動を維持することとセットだった。

     

    米軍基地があり続ける理由

     米国は東京裁判で天皇免責に成功し、まるでその報酬であるかのごとく昭和天皇は1947年9月、沖縄を半永久的に米国に売り渡す「天皇メッセージ」を米国に伝えた。同年5月3日の日本国憲法施行より後のことである。憲法で国事行為が限定されたはずの天皇によるものだ。米国が望んでいることに象徴天皇が憲法を超えてお墨付きを与えたことになろう。

     こうして、日本に米軍を駐留させるとともに、沖縄を切り離して軍事要塞化を図るということが、1952年のサンフランシスコ講和条約と日米安保条約という形で整えられた。

     さらに、日本本土にいた米海兵隊が、朝鮮戦争休戦後に反米反基地闘争に押し出される形で軍政下の沖縄に移っていった。

     

    「沖縄と憲法」巡る議論を

     「構造的差別」の意味として、差別が構造化されていることで加害者側に差別しているという自覚がない、ということもしばしば指摘される。米国・日本・沖縄の歴史と現状から、日本国憲法を見つめ直すことも必要ではないか。

     安倍政権が進めようとしている憲法改正は何としても食い止めなければならない。ただ、天皇制や「国民」という言葉など、現在の憲法に疑問なしとは思わない。護憲的立場に立ちつつ、沖縄からどのように見えるのかを問い返しながら、根本から議論することを望みたい。