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    2020東京五輪・パラリンピック

    あるべき姿 考える機会に


     今夏、いよいよ東京五輪・パラリンピックが開かれます。猛暑時の開催など多くの問題が指摘される中、五輪・パラリンピックのあるべき姿を模索する上で、その原点などについて考えてみましょう。

    なぜ平和の祭典と呼ばれているの?

     近代オリンピックの父、フランスのクーベルタン男爵が第1回大会を開催するに当たり、世界平和の実現を目的とすることを提唱したためです。

     フランスがプロイセン(現在のドイツ)との普仏戦争に負けて、その報復を求める声が国民の間に高まる中で、同氏は復讐ではなく「スポーツを通じた世界の人々の交流」が必要だと主張しました。古代オリンピックには、大会中に戦争をしてはならないという「エケケイリア(聖なる休戦)」があったことにも着目。国際オリンピック委員会(IOC)を発足させ、平和の祭典として結実させたのでした。

     

    表彰式ではなぜ、国旗が掲げられ、国歌が演奏されるの?

     「表彰式に国旗・国歌はつきもの」と思っている人は少なくありません。でも本当は違うのです。

     国際オリンピック委員会(IOC)は「オリンピックは国家間の争い(競争)ではない」と憲章で定め、国威発揚の場とすることを戒めています。

     憲章の細則によれば、表彰式で掲揚され演奏されるのは「団旗」「団歌」。どんな旗を使い、曲を流すかは本来、選手団の自由で、開会式と閉会式で、開催国の国旗・国歌が許されるとしているだけです。

     現在行われている表彰式の形は、憲章に照らして大きな問題があるかもしれません。

     

    スポーツは民主主義が基本って、どういうこと?

     スポーツ文化評論家の玉木正之氏は、オリンピックを頂点とするスポーツ競技について「暴力を否定した民主主義社会でしかスポーツは生まれない」と主張しています。

     権力者による支配ではなく、民主主義の世の中では選挙でリーダーを選び、話し合いで物事を決めます。そのような社会では暴力行為を伴う競技は否定され、殴り合いがボクシングになったように、競技はルールに基づくゲームとして発展したといいます。

     古代ギリシャと近代の英国でスポーツが生まれた理由をそう説明しています。

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     ※玉木さんのコラム(春陽堂HPの「スポーツって何だ?」)を参考にしました。2月には『今こそ「スポーツとは何か」を考えてみよう』(春陽堂書店)が出版される予定です。

     

    スポーツのあり方考える機会に/玉木正之さん

     オリンピックはどうあるべきか。まずは、日本社会に根強い「スポーツ絶対主義・勝利至上主義」を見直す必要があると思います。金メダルの数ばかりを追求するあまり、少なくない弊害が起きているのは周知の事実です。

     スポーツには、勝つこと以外にさまざまな価値があります。そのことに気が付くため、僕はオリンピックとパラリンピックを同時開催すればいいと考えています。一般に競技では「より速く、高く、強く」が求められるが、それだけでいいのかどうか。 

     例えば陸上100メートルでウサイン・ボルトが走った後、義足や車椅子の選手が走る姿を見た時、どちらが「一番」で「すごい」かは、見る人によって違うのではないでしょうか。懸命に走る障害者に価値を見出す人も多いはずです。

     2020東京五輪・パラリンピック開催を、スポーツのあり方についてみんなで考えていく機会にしてほしいですね。