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    〈解説〉誰にとっての「押し付け」か/憲法論議の視点

    改憲派は現憲法について、「GHQ(連合国軍総司令部)に押し付けられたものだから、自らの手でつくり直すのだ」と主張している。いわゆる「押し付け憲法論」である。だが、誰が誰に押し付けたのかは、もう少し冷静に見た方がいいのではないか。

     国民は歓迎した

     敗戦後、GHQに憲法(明治憲法)改正の必要性を指摘された日本政府が改正要綱を提出したのは1946年2月。幣原喜重郎内閣の松本丞治大臣(憲法問題調査委員会委員長)らがまとめたものだが、GHQはこれを一蹴、代わりにGHQ案を示してこれを受け入れるよう指示したのだ。この場面が押し付け論の根拠になっている。

     問題は、その中身だ。松本案は「天皇主権」「軍隊維持」であり、GHQ案は「国民主権」「戦争放棄」だった。当時の日本政府は猛反発したが、国民は歓迎した。「押し付けられた」と感じたのは、天皇主権などに固執する古い頭のリーダーたちである。

     今、安倍首相と改憲を訴える人々は明治憲法に郷愁を感じ、現憲法を否定する。その発想は、当時の政府と同じということだ。

     

    ●明治憲法こそ押し付け

     

    「日本の戦争責任資料センター」の上杉聰事務局長は近著『日本会議とは何か?』(合同出版発行)で、押し付け憲法論を再検証している。

     明治憲法については、「枢密院の議長・伊藤博文と十数人が議論して決めて、天皇の名前で公布したものだった。これは、確かに(国民への)『押し付け憲法』だろう」という。一方、現憲法に関しては、女性や一般成人男性が参政権を得た衆院選挙(1946年4月)後の国会で審議、修正が行われたと指摘し、こう述べている。

    「これを『押し付け憲法』と呼ぶならば、(国民不在で制定された)明治憲法も、そのもとで作られたすべての法律は、もっと『押し付け』もはなはだしい『圧制憲法』『強圧法』とでも呼んだ方がよい」

    「たしかに原案はアメリカが作った。だが、圧倒的多数の日本人がその憲法を審議し、修正し、決議して受け入れた事実は『押し付け憲法』という見方の『単純さ』を物語っている」

     

    ●国民目線の大切さ

     

     今日では、GHQ案にも日本の民間憲法草案の内容が反映されていることが明らかになっている。国民主権をうたった、鈴木安蔵らの憲法研究会による草案要綱などである。

     要は、誰の立場でものを見るかということだ。「お上」である政府の立場か、あるいは国民の立場か。憲法を論議する際には、改めて国民目線を取り戻すことが求められている。