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    Q&A/安倍首相の改憲提案・上/「加憲」という9条破壊

     「9条3項に自衛隊を明記」「高等教育の無償化」という安倍加憲案。自民党内の懸念にもかかわらず、首相は2020年までの実現に向け、議論の加速を指示した。安倍改憲案の問題点をまとめた。

     

    ●Q1 自衛隊を憲法に書き込むだけなら問題ない?

     

     A 憲法学者の大半が自衛隊を憲法違反とする状況を解消したい――9条3項を新設し、自衛隊を明記する理由を安倍首相はこう説明する。「災害時の救援活動で頑張る自衛隊が憲法違反では気の毒」と同調する意見は当然ある。

     しかし3項で「合憲化」される自衛隊は、かつての専守防衛の存在ではなく、もちろん災害派遣目的の部隊でもない。一昨年成立した安保法制(戦争法)により、安倍政権以前の内閣が「違憲」としてきた集団的自衛権の行使が認められるようになった。今年4月末~5月初旬には、自衛隊艦船が米補給艦の防護任務も行った。北朝鮮に対する明白な軍事的示威行動だ。

     このように、米軍と一緒に軍事作戦を担う自衛隊を「合憲」にする9条3項加憲は、戦争法の延長線上に位置づけられるものだ。

     

    ●Q2 9条2項の「戦力の不保持」「交戦権の否認」が残るから心配ない?

     

     A 「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」という2項と、自衛隊を認める新3項。この矛盾は法律的にどう解釈されるのだろうか?

     東京慈恵会医科大学の小澤隆一教授(憲法学・「九条の会」事務局)は「『後法は前法に優る』といって、後からできた新しい法律は古い法律よりも優先されるのが法のルール」と解説する。つまり、2項の「戦力不保持」の規定は、新3項ができた時点で、無効化するということだ。

     例えばアメリカ合衆国憲法の改正は、修正条項によって行われる。禁酒法(1920~33年)の根拠は修正第18条だが、禁酒法を廃止する際の憲法改正でもこの条文は削除されなかった。その代わりに「修正第18条は廃止する」という修正第21条が付け加えられたのだ。

     小澤教授は「自衛隊を3項に明記した時点で、2項は『上書き』され死文化」「3項加憲は、自民党の改憲草案にある『国防軍』の明記と本質的には同じ」と指摘している。

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    コメント: 15
    • #1

      PALCOM (土曜日, 13 1月 2018 07:48)

      3項加憲に反対する理屈として、後法優先原則を持ち出すのはおかしくはないでしょうか?

      後法優先原則は、条文A(前法)とB法(後法)が論理的に矛盾するときに適用されます。

      自衛隊を3項に明記するということは、新3項に専守防衛原則を明記するということです。現2項が戦力不保持を定めており、新3項は専守防衛原則を定めているとすれば、両者に論理的な矛盾はありません(というのが、政府解釈であり、国民もそれを受け入れてきました)。

      問題は、安保法制が専守防衛原則を逸脱しているかどうかですが、それは逸脱しているといわざるを得ません。しかし、専守防衛原則は憲法上の縛りですから、安保法制が可決されたからといって、専守防衛原則の中身がそれによって変わる(法律が憲法を変える)ことはないはずです。

      新3項を認めるかどうかがテーマに国民投票が為される場合、国民が判断するのは専守防衛原則を3項として明記すべきかどうかであって、安保法制が専守防衛原則を逸脱しているかではありません。

      9条の会の理屈に立つと、自衛隊を明記する新3項(正確には、専守防衛原則を明記する新3項)が国民投票で可決されれば、安保法制が合憲になるように聞こえます。しかし、それは誤りで省。新3項が国民投票で否決されても、安保法制が違憲とならないのと同じことです。

    • #2

      PALCOM (日曜日, 14 1月 2018 05:44)

      後法優先原則を理由に、3項加憲論に反対するのは、法理論としておかしいと思いますが、そういう理屈を持ち出さないと安倍改憲提案に対抗できないということなのでしょう。

      一昔前は、護憲と言えば、9条を非武装中立規定と考えていたわけですから、護憲派は、「安倍3項加憲論は非武装中立原則に真っ向から抵触するので、反対だ」と言えばよいはずです。9条の会には、9条を非武装中立規定と考えるのか、それとも、専守防衛原則を定めた規定と考えるのかという趣旨の公開質問状が出されていますが、返答できていません。9条の会内部で割れているというより、一般の護憲運動家においても、専守防衛原則と考える方がもはや多数派なのではないでしょうか?

      後法優先原則を持ち出して怪しげな反論をしたとしても、護憲派がかつて非武装中立論を盛んに唱えていた事実は消えません。安倍自民党も、その点を指摘してくるでしょう。

    • #3

      山口節生 (木曜日, 02 8月 2018 05:11)

      侵略国家にはならない。自衛はすると決めた日本人である。かつての天皇は神であるの思想はキリストの神に与えられた王権の思想よりも王権に制約がなかった。安倍政権の明治憲法論は王権神授説である。神道のみであり神道の強化である。王権神授説よりも天皇は神であるとする安倍洋子と安倍晋三と菅と萩生田の理解は「天皇は象徴であり、軍の廃止をしていく。」と決めたカントの恒久平和論の軍の廃止と共和制の国家の実現を行なった世界で初めての憲法を壊すものだ。

    • #4

      山口節生 (木曜日, 02 8月 2018 05:38)

      侵略国家にはならない。自衛はすると決めた日本人である。かつての天皇は神であるの思想はキリストの神に与えられた王権の思想よりも王権に制約がなかった。安倍政権の明治憲法論は王権神授説である。神道のみであり神道の強化である。王権神授説よりも天皇は神であるとする安倍洋子と安倍晋三と菅と萩生田の理解は「天皇は象徴であり、軍の廃止をしていく。」と決めたカントの恒久平和論の軍の廃止と共和制の国家の実現を行なった世界で初めての憲法を壊すものだ。
      パール判事の戦争犯罪について太平洋戦争当時人道上戦争で人を殺してもいいという法が戦時中はあったはずだから、戦後戦争で人を殺してはならないという人道に対する罪を作るのは後法であり無効であるから、東京裁判は無効であるという論がある。
      東京裁判と後法は前法を廃止するというのは裏表である。東京裁判は無効論では当時人道に対する罪はなかった。だからユダヤ人虐殺も罪ではなかった。戦争に突き進んでいく人々は常に人を殺すことはいいことだと神を神道に仕立てあげて、特攻隊で死ぬ者に特攻は善であると教える。
      だから三項で人を殺すことを認めることは認められて軍の廃止と天皇は象徴であるとをセットで認めたのが日本人であってそのように権力者を縛っている。
      非核化も非核化条約も軍の廃止と天皇は神ではなく象徴であるというのと同じことである。

    • #5

      山口節生 (木曜日, 02 8月 2018 05:46)

      要は人を殺したいという安倍晋三と安倍洋子と菅と萩生田の個人的欲望があるかどうかである。
      人を殺したい、人を殺すことがあることを認めるというのが安倍安保戦争法である。アメリカが侵略国家として戦争する時には同盟するという自衛隊に変質した。その自衛隊を憲法に入れる。それは後法による戦争であるから、侵略すること侵略国家になることを認めることになる。

    • #6

      山口節生 (木曜日, 02 8月 2018 05:54)

      要は人を殺したいという安倍晋三と安倍洋子と菅と萩生田の個人的欲望があるかどうかである。
      人を殺したい、人を殺すことがあることを認めるというのが安倍安保戦争法である。アメリカが侵略国家として戦争する時には同盟するという自衛隊に変質した。その自衛隊を憲法に入れる。それは後法による戦争であるから、侵略すること侵略国家になることを認めることになる。
      東西冷戦終結宣言は南北朝鮮の朝鮮戦争終結宣言によって達成される。朝鮮戦争終結に向けて全世界が動いている。軍の廃止と天皇は神ではなく、象徴であるという日本国憲法の理念に向けて全世界が動いている。
      それを全部ひっくり返していこうと安倍洋子と安倍晋三と菅と萩生田の四人組が動いて少数者支配を行なっている。電通を通じて。

    • #7

      山口節生 (木曜日, 02 8月 2018 06:00)

      後法優先の世界の百科事典にも載っている法諺を無しにしている安倍洋子らの少数支配の原理による神道原理主義は、朝鮮戦争終結に反対しているばかりではない。後法は前法に優先するという原則にも、パール判事の後法である人道に対する罪があったなら従うというインド人でも認めている法をも犯すものである。

    • #8

      山口節生 (木曜日, 02 8月 2018 06:12)

      要は侵略国家の侵略としての戦争を認めて欲しいという欲求である。侵略して戦争で人を殺すことを認めろというものである。
      カントのいうには侵略国家が侵略しても所有権を得たことはないから、侵略はそれ自体が本能としていけない禁止されたものであると言っている。安倍晋三が領主であったり王であったとは思わないが、安倍晋三が少数で侵略国家の侵略を認めるというのは日清日露戦争で領土を増やしたという幻想からきている。実は植民地時代でも領土は所有権が得られた訳ではなく、その土地の支配するかどうかの意思が選挙で認められなければ植民地時代の植民地ではないがオーストラリアでさえ、イギリスとは疎遠になっていた。

    • #9

      山口節生 (木曜日, 02 8月 2018 06:13)

      カントが恒久の平和のためにで言っているのはそういうことである。

    • #10

      山口節生 (木曜日, 02 8月 2018 06:21)

      後法として憲法9条三項を追加するのは、朝鮮戦争終結に日本だけが反対しているのとよく似ている。戦前に復帰することであるから、普通は戦後生まれならそういうことは言わない。だから戦前生まれの安倍洋子に言われたので洗脳されて安倍晋三がマザコンで言っているという精神の分析が正しいであろう。政治経済宗教哲学は精神そのものである。

    • #11

      山口節生 (木曜日, 02 8月 2018 06:32)

      世界の動きを朝鮮戦争終結前に戦前に戻すものである。

    • #12

      山口節生 (木曜日, 02 8月 2018 06:33)

      貿易戦争と為替操作への戦争で世界が戦争に向かいつつあるのに。

    • #13

      山口節生 (木曜日, 02 8月 2018 07:49)

      特攻が天皇は神さまであると言いながら死んだ。天皇は万世一系の神だと松下村塾出教えた。
      なぜか。尊王攘夷でないといけなかった。鎌倉幕府と将軍との関係から生じた軍部による政治の伝統があったからではないか。江戸幕府に対抗する時には尊王攘夷が必要であった。しかし天皇は神になる必要はなかった。
      いつからか。なぜか。イギリスでは幕府がなかった。権利の章典はただ民衆の権利の章典であって、将軍の政治に対して権利を求めたのではなかった。
      キリストの権威に対する王権神授説による王権であったが、日本には仏教しかなかった。
      インド人はキリストのように政府に対する意識はどこにもない。
      自分を見つめ座禅や滝に打たれて自分を鍛えるということはあった。
      しかしインドでは政府とカーストの身分に対立するものではなかった。まだイギリスの植民地になる前の釈迦の存在であるから釈迦の社会を考える必要がある。
      キリストのユダヤ人に対する意識は何があったのか。モーゼの十戒が出てくる社会的背景があった。ユダヤに対するローマの対立がキリストの時代からあった。
      日本の神道の世界は第二次世界大戦前につくられた「天皇は神だ。」特攻せよという特殊な1940年体制であった。
      尊王攘夷とは全く異質であって、変質したものであり、岸信介と東大法学部によって作り上げられた空想による勝つために人を総動員するためであった。
      神道をこのように変質と見るということは神道が永遠の宗教ではなく、新しい宗教、戦後雨後のタケノコに似てニョキニョキ生まれてきた新しい宗教チームであった。
      チームであって、第二次世界大戦を遂行するための一時的に作成された戦争遂行のための便宜的計画書にサインされたプログラムであった。
      戦争に国民を総動員するにはほかの計画もあったはずであり、永久の宗教ではなかった。いま特攻に行って天皇神のために死ねと言われたら信じる人はいないからである。

    • #14

      山口節生 (木曜日, 02 8月 2018 07:58)

      特攻は天皇は神ですと言って死ななければならない理由があったのか。キリストが永遠の神ですと思いながら特攻で死んだ特攻隊員もいるであろう。天草四郎の隠れキリシタンもいただろう。
      ということは天皇は神であると言いながら死んだ人以外にも多くの別の宗教があったことになる。ただ政府の総動員体制においては軍部はまた岸信介のような軍に関わった官僚には計画として戦争遂行の一環として天皇は神であるとして、特攻に行ってもらう必要があった。

    • #15

      山口節生 (木曜日, 02 8月 2018 08:12)

      尊王攘夷でなくて、薩長土肥前が政府をつくる手もあった。攘夷をするのに天皇は神であるとする必要はなかった。だから天皇は機関であるという主張も生まれた。