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    インタビュー/「年収」「専門」は歯止めにならず/高プロ制/竹信三恵子・和光大学教授

     労働時間規制を外す高度プロフェッショナル制度(高プロ制、残業代ゼロ制度)について、竹信三恵子・和光大学教授は「年収要件や専門性要件は何の歯止めにもならない。自分には関係ないと思っていたら大間違い」と指摘している。連合の「クラシノソコアゲ特別応援団」の団員を務めている立場から、連合のこの間の対応に苦言を述べつつ「傘下労組の意見を聞いて高プロ制容認を押し返したことは評価したい」と語った。インタビュー要旨は次の通り。

     

    ●自分には関係ない?

     

     高プロ制は年収1075万円以上が対象というが、法案には「平均年収の3倍を相当程度上回る水準」とあるだけで、具体的な額は省令で定める仕組みだ。

     非正規労働者が増えたら平均年収は下がるし、省令を変えるには国会の承認がいらない。かつて経団連は「年収400万円以上」を求めていた。塩崎厚労大臣も経済人の集まりで対象範囲を徐々に拡大することを示唆していた。

     つまり、1075万円は引き下げられる恐れが強い。労働者は「自分には関係ない」と思っていてはいけない。

     専門性要件はどうだろうか。対象範囲が拡大されていった労働者派遣法を見ても、「専門性」があるかどうかの判断は恣意的になされがち。専門性が高くても、自分で労働時間を裁量できるとは限らない。

     これら二つの要件は歯止めにならない。年収も専門性も高かった小児科医の中原利郎さんの過労自死事件は、年収や専門性要件では長時間労働を防げないことを示す典型的な事例だ。

     

    ●過労死基準の上限とは

     

     政府は高プロ制や企画業務型裁量労働制の対象範囲拡大を、時間外労働の上限規制と一括法案にして提出する意向だという。フェアなやり方ではない。

     上限規制といっても、過労死認定基準並みであり、高プロ制を認めてまで求めなければならないものかどうか。仮に抱き合わせにするとしても、厚労省が健康確保の目安としてきた時間外月45時間・年360時間なら合理性はある。

     

    ●成果主義とは無関係

     

     高プロ制をめぐっては、「仕事を成果で測る」という言い方が一部メディアでもされているが、おかしい。法案には成果で測れとは一行も書いていない。しかもまともな成果給なら、1日8時間内で成果があったかを競うのが筋だ。時間の歯止めなく成果を競わせれば、時間当たり生産性は低下するのではないか。

     労働基準監督官を増やすから大丈夫とも言われる。だが、高プロ制が入って労働時間を把握できなくなれば、監督しようにも手掛かりがない。監督官を増やしても、穴の空いたバケツと同じだ。

     

    ●連合は原点に返れ

     

     「人の持つ時間は有限だという意識が希薄だったことに問題があった」と、過労自死事件が起きた電通の社長が最近反省していた。1日は24時間しかない。家事・育児や地域活動、睡眠などを考えれば、8時間労働が基本だ。連合はぶれずに、この原点を目指して対応すべきだろう。

     高プロ制容認で揺れた連合だが、今回は傘下労組がしっかりものを言い、押し返した点に注目したい。迷走したことを批判するだけでなく、むしろ踏みとどまったことを組織内民主主義として評価すべきだろう。これを機に、働き手の声を伝えるパイプ役としての労組の力をしっかり発揮してほしい。