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    〈インタビュー/最賃千円時代の特定最賃〉(7)/公正水準を後押しする制度に/神吉知郁子立教大学准教授に聞く

     地域別最低賃金の引き上げにより特定最賃が各地で効力を失っている。制度はどうあるべきかについて、日本と欧州の最低賃金制度に詳しい神吉知郁子立教大学准教授は「公正な賃金水準をめざす労使の模索を後押しする制度にすることが必要」と語る。

     ――特定最賃を残せるか正念場にあります。

     神吉 特定最賃は残すべきだと考えます。地域別最賃は対象者が膨大なため、一定水準を超えて引き上げると、雇用への影響など副作用が懸念されます。平均賃金の5割ぐらい(全国平均1千~1100円程度)にまで引き上げたら、その後はある程度経済指標に連動させ、産業ごとの状況に応じた「プラスアルファ分」を特定最賃が担っていくという転換があってもいいと思います。

     特定最賃は、各産業における公正な賃金水準をめざす、労使の模索を後押しする仕組みとして適しています。使用者側は企業にとってない方がよいと思い込まず、積極的に関与し、改定審議の場で専門的知見を発揮すべきです。公正な水準を労使で決めることで紛争化のリスクを回避する――そのように意識を変えてみてはどうでしょうか。

     ドイツやフランスでは、産業別労使で協約を結んで賃金を決めており、拡張適用によって影響率も高い。さらに上乗せする企業もありますが、企業横断的な底支えの規制がある上での格差なので、それほど大きな問題にはなりません。かたや、日本は、どの企業に就職するか、大手か中小かで、入口も将来も賃金水準が大きく異なります。

     産業ごとに賃金体系の大きなピラミッドがあるドイツ、フランスに対し、日本は企業ごとの小さなピラミッドがたくさんあるというイメージ(概念図)。今から産業内の賃金水準をそろえるのは難しいとしても、技能形成開始期や一人前労働者に「最低限これぐらいは必要だ」というポイントは見つけられるはずです。ここに特定最賃の可能性があります。

     企業としても政府から経済目標に合わせて最賃増額を押し付けられるよりも、自ら関与して適正な水準を決められる方がよほど有意義なはずです。産業単位の方が、地域別最賃と比べて引き上げやすく、影響を検証しやすいという利点もあります。

     

    ●影響力ある制度に

     

     ――制度の現状をどう見ていますか?

     うまく活用できていないと思います。このまま地域別最賃が引き上がれば、今のままだと大部分が駄目になっていくでしょう。

     一方で、地域別最賃の水準に近接する特定最賃に単体での存在意義は薄く、公正競争の確保という制度の目的も果たせません。

     経団連が廃止を掲げる中で、活路があるとすれば、「同一労働同一賃金」への関心の高まりを生かして、実際に影響力のある制度にすることでしょう。少なくとも高卒初任給を目安に、毎年の改定で賃金が上がる人が相当程度いる仕組みとする必要があります。

     ――連合大阪の研究会に参加されました。

     高卒初任給を入口に、12年働き続けると最低どのぐらいの賃金になるか、適用対象となる基幹的労働者の最賃を「二重底」で設定するという方向性です。キャリアラダー(段階的な職業能力の向上を図る人材育成の仕組み)に対応する制度にできれば、賃金が上がる最低限の道筋が見えるようになり、不合理な格差の解消に近づけます。

     ただ、基幹的労働者を複数で設定すると、実務的に対象者がよく分からなくなってしまい、履行確保が難しくなる危険性もあります。英国もかつてはかなり細かく決めていましたが、対象者が誰なのか分からなくなり形骸化しました。その点は注意が必要です。

     

    ●公的部門こそ最適

     

     ――看護師や介護職で、特定最賃の新設をめざす動きがあります。職務が明確な職種での有効性は?

     有効だと思います。当事者だけでなく、厚生労働省も前向きに受け止めてほしいですね。特に介護職や保育士、看護師など、資格制度が明確で、公的資金を入れて運営している事業の労働者は、一般の労働者よりも政策的に介入する余地があります。このように公的な分野から仕組みを整えていくことはあり得ると思います。

     その際も上から配分を決める「トップダウン」ではなく、労使に賃金水準を決めてもらい、それを財政的に後押しする「ボトムアップ」の介入の仕方があっていいはず。特定最賃は最適な仕組みです。

     トラック運転手については労契法20条関係の訴訟が各地で相次いでいます。運輸業界がこれを好機と捉えられるか。産別労使が話し合って最低限の水準を決めることは、働き手の納得を高め、訴訟リスクの回避に有効です。使用者が「自分たちのためでもある」と認識することが大切です。

     ――公益労使の全会一致が必要な審議会運用が、制度の活用を妨げています。

     法学者として運用の話はしづらいですが、あえて言うならば、行政の安定という観点からは現行の仕組みは変えなくてもいいと思います。ただ、求められる役割は再検討すべきでしょう。審議会委員が単なる出身母体の利害関係者という意識でいいのか。労使の知見を生かしながら社会全体の利益を代表するという観点からあるべき姿を探らなければなりません。

     新設はもちろん地域別最賃に追いつかれた特定最賃の改定は、とにかく絶対反対だ――そんなポジショントークでは何も生まれません。公共の利益のためという観点から、きちんとした実証データを基に検討する姿勢が必要です。