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    インタビュー〈原発事故避難者は今〉/住宅支援打ち切りの冷酷さ/原発被害者団体連絡会(ひだんれん)/幹事村田弘さん

     原発事故から9年目。テレビなどでは福島県内の帰還困難区域の一部で避難指示が解除され、町役場が戻った様子も報道されている。前例のない原発事故、見えない放射能の恐怖から着の身着のまま飛び出した避難者に対して、政府と福島県は住宅提供の打ち切りを粛々と進めている。打ち切りの現状と避難者の思いを「ひだんれん」幹事の村田弘さんに聞いた。

     


    (上)オリンピック最優先の陰で

    ――どうして原発事故避難者の住宅提供が打ち切られていくのですか?

     村田 それは2013年9月、安倍首相が東京五輪招致の演説で「原発事故はアンダーコントロールされている」と語ったことに尽きます。同年12月には避難指示の早期解除と帰還促進を柱とする「福島復興加速化指針」を閣議決定し、その後、避難指示区域外の避難者に対する住宅の無償提供を2017年3月で打ち切る方針を発表しました。

     現在では、富岡町や浪江町、葛尾村、飯舘村、大熊町、双葉町を除く地域からの避難者は住宅提供を打ち切られています。(表)

     避難指示が解除されても戻れない避難者が大勢います。部分的に除染し、空中放射線量を測って「大丈夫だ」と言われても、自宅周辺の放射線量が高ければ戻れません。仕事がなく、商店街など基盤が整わなければ生活は難しい。避難先で仕事を見つけ、やっと確立した生活を捨ててまで、先の見えない故郷に帰るのは厳しい。

     

    ――避難者は今どれくらいいるのですか?

     分かりません。そのことが一番つらいのです。生活が困窮している人がいないか、本当に心配です。避難者同士でつながりたいが、つながる手立てがほとんどありません。「避難者の実態を調査しろ」と国や福島県に再三、要請してきましたが、「調査はしない。自立してください」の一点張り。実態調査をすると「2020年の五輪までに原発事故を収束させる」という計画が崩れてしまうからでしょう。

     でも、行政は実態調査をする情報やルートを持っています。少なくとも2017年3月までは住宅の無償提供を行っていたのです。

     本来は実態調査をしてから、住宅提供を打ち切るかどうかを判断するのが道理です。安倍政権は道理無視ですから、この政権が変わらない限り、避難者は救われないとの思いを強くしています。

     夏の参議院選挙では、安倍政権を変える一票を投じたいと思います。

     

    (下)癒えない故郷の喪失感

    ――避難者の生活状況は?

     住民はクモの子を散らすように避難していて、支援につながれなかった人は本当に孤立しています。電話やメールなどによるホットラインや相談会などを行っていますが、SOSが届くのを待つしかありません。

     

    ●追い詰められて…

     夫を郡山市に残し、子ども2人を連れて東京・大田区に避難してきた女性は住宅提供を打ち切られて体調を崩し、支援団体「避難の共同センター」につながりました。川崎市のシェルターに入居することができ、支援者は毎日のように訪問していました。でも、日がたつにつれて夫や子どもと意見が食い違い、追い詰められて2017年5月4日に自殺しました。亡くなったことを聞いたときの感情は……言葉になりません。

     住むところがあり、日常生活をなんとか送れている私でも、故郷での生活やつながりを奪われた喪失感は大きい。ましてや、生活の基盤である住宅への支援を打ち切るなんて…本当にひどい。やりきれない気持ちです。

     

    ――村田さんが避難したときの状況は?

     朝日新聞記者として働き、2003年の定年をきっかけに妻の実家、南相馬市小高区へ移住しました。退職金の半分を使って家をリフォームし、荒れ放題だった果樹園を育て直し、自分たちで野菜を作って第二の人生を始めようとしていた矢先の原発事故でした。

     3月12日、隣の美容院の人から「原発が爆発している。私たちは逃げるよ」と言われ、慌ててテレビをつけたら「20キロ圏内は避難してください」のテロップ。でも避難先の見当もつかず、家に残りました。

     翌日、外出から戻った妻が「外はシーンとしている。この辺りは誰もいないみたい」と。取るものも取りあえず南相馬市内の中学校体育館に避難したのが13日。しかしその後、福島第一原発の3号機、4号機が爆発し、16日には避難所も閉鎖。妻と猫1匹で2日間かけて川崎の娘のところへ行きました。

     

    ――村田さんも住宅提供を受けていたのですか?

     最初は避難することに必死でした。その後、近所のお年寄りが避難先で次々に亡くなっていくのを目の当たりにして、寄って立つ場所がなくなったような、幽霊になったような気分で本当にしんどかったです。

     住宅提供は14年12月で締め切られ、気づいたのは申請期限後。住宅提供を受けられた人は全体の半分以下ではないでしょうか。その後、弁護士会の相談会へ行き、東京電力に直接請求できるADR(裁判外紛争解決手続き)で家賃補助月6万円を得ましたが、昨年3月に打ち切られました。

     

    ――これからの取り組みは?

     本当に困っている人たちをなんとかしたい。住宅提供の打ち切りで通常の2倍の家賃を請求されている国家公務員住宅に住む人たちの支援や、民間の借り上げ住宅に住む避難者の実態把握をするよう、国や福島県に迫っていきます。

     集団訴訟などで国に原発事故の責任を認めさせたい。

     国によって避難者は分断され、見えなくさせられています。ならば、集まって見えるようにする必要があります。絶望することも多いけれど、このままでは悔しい。メディアもしつこく追及してほしい。来年、2020年がターニングポイントだと思います。