「機関紙連合通信社」は労働組合や市民団体の新聞編集向けに記事を配信しています

    インタビュー/〈どうする最低賃金〉(7)/この最賃では暮らせない/シングルで子育てした女性

     2019年度の最低賃金の全国加重平均が900円台となることが確実となった。最賃で暮らすとはどういうことか。時給950円でフルタイムで働いてもとても暮らせず、ダブルワークを余儀なくされたシングルマザーの女性(47)に聞いた。「私と同じ思いを子や孫にさせたくない」。子どもが自立し、今は生協労組の役員として最賃引き上げの運動に取り組む。

        ○

     ――一番苦しかった頃はどんな暮らしでしたか?

     離婚した元夫からは一銭ももらっていない。もう関わりたくありませんから。子どもが2人いるので児童扶養手当を受けられると教えられたが、月1万円程度で収入制限があった。働くしかなかった。

     一番きつかったのは2008年ごろ。息子が中3で、娘が小3。昼はコープえひめで配達業務にフルタイム勤務で従事し、急ぎ帰宅して夕飯を作り、午後7時ごろから深夜11、12時までコンビニで働いた。配達業務の時給は950円で、コンビニは当時の愛媛の地域別最賃の631円だった。

     昼の総収入(税・社会保険料控除前)は、通勤手当と皆勤手当を含めて18万2150円。家賃や水道光熱費、学費、保険料、ガソリン代などの経費を引くと、7千円しか残らない。食費分がない。しかも子どもは食べ盛りだった。

     コンビニでは平日夜に週4回、土日は1日11~12時間働いた。平均して5~6万円、多い時で8~9万円稼いだこともあった。

     負担だったのが自動車関連の経費。唯一の財産だったワンボックスカーには税金が毎年3万7千円かかった。2年に1度は車検で約10万円が飛んで行く。重要部品の交換など、使用年数が延びるほど予測不能な出費がかさんだ。

     愛媛は冬、雪が降る。通勤路の峠に積もる。スタッドレスタイヤは必需品。一本1万5千円で4本要る。すり減ったタイヤを後輪に回すなどごまかしながら乗っても3年が限界。必ず次の出費が必要になった。

     子どもの服はすぐに小さくなるし、靴はすぐに破れる。さらに08年は中3だった息子の修学旅行があり、翌年は高校入学、2年生で修学旅行があり、翌年は小学生の娘の修学旅行。次から次へと大変だった。

     私自身、髪のカットは2年に1度。お金がかかるので、友達との付き合いは極力避けた。

     ――都会との賃金格差をどう見ていますか?

     当時の東京の配達業務の採用時給(1140円)だと、同じ条件で月21万3500円になる。当時の私の昼の総収入との差額は3万8千円。コンビニの時給では60時間分に当たる。これだけあれば夜働かなくて済んだということになる。

     息子が就職し、高校生になった娘がアルバイトをしてくれてようやく生活が少し安定した。16年にコープえひめ労組の専従役員になり、最低賃金のことを学んだ。8時間働いても暮らせないのは制度の問題なのだということが分かってきた。

     生活に余裕ができたのがよかったと思う。大変な時は人とゆっくり話す時間もなく、人の話を受け入れることもできなかった。

     

    ●泣くだけの電話

     

     でもあの頃の時間は戻ってはこない。ただただ働くだけだった。子どもたちには我慢ばかりさせた。2人とも親を心配してわがままを言わなかった。

     今少し余裕ができても、子どもたちはもう親を求める年齢ではない。だから、お金では買えないあの時間を失ったことは、ほかに仕方がなかったにしても悔やみきれない。

     コンビニで働いていた頃、まだ小学生だった娘が毎夜、店に電話をかけてきた。電話に出ても何も言わず、ただ泣いているだけ。何も言わなくても娘からだと分かる。寂しいとか、早く帰って来て、とは言えない。帰れないことを知っているから。だから泣くしかできない。

     「あと5分したら帰るからね」と何回うそをついたことか。娘が泣いているからといって帰ったら生活できませんからね。何とかなだめて電話を切っても、また鳴り続けていた。

     学校の参観日にも行けず、熱を出してもすぐ病院に連れて行ってあげられなかった。

     今最賃引き上げの運動をしているのは、私と同じ思いを子や孫にさせたくないから。

     ――正社員の仕事は?

     当時、30代で子どもがいる女性に正社員の仕事は地元にはなかった。あっても保険会社の営業だけ。今の仕事に就き、途中で試験を受けて月給制の契約職員になった。

     ――最賃をどう見る?

     まず水準そのものが低いと思う。18年度の東京の最賃985円は、当時の私の時給と変わらない。これで生活できるわけがない。

     これだけ賃金格差があると、若者は都会に行く。昔なら子どもに「はよ帰って来い」と言ったものだが、今は都会で就職した子が親を呼び寄せる。知人も「子どもが帰って来ても仕事はないだろうし」と言って一家で出て行った。人口流出が1人じゃない。根こそぎ持っていかれている。

     ――運動の手ごたえは?

     3年前と比べて確実に変化してきていると感じる。当時、同僚たちに「今の最賃はいくらでしょう?」とクイズを出すと、「500円?」という答えに「私に死ねというのか」と返して遊んだりしてた。それが今では正確に答えられる人が増えてきた。

     最近の好きな言葉は「微力だけど無力じゃない」。この言葉を自分の軸にしている。焦ってはだめ。地道に訴えることが大事。やがて大きな力になる。そう信じて取り組んでいる。