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    インタビュー/〈被爆者運動を継承する〉下/被爆後の人生を〃追体験〃/昭和女子大学歴史文化学科4年 吉村知華さん

     昭和女子大学で、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の史料整理に携わり、「戦後史史料を後世に伝えるプロジェクト」の中心メンバーとして、関わっている吉村知華さん(22)に、被爆者運動への思いを聞いた。

     

     ――史料整理に関わるきっかけは?

     吉村 私は戦国時代や江戸時代に興味があって、くずし字などで書かれた当時の「生の史料」を見るのが好きです。

     被爆者運動の史料整理をする「史料整理会」への参加を1年生の時に呼びかけられました。当初は「被爆者運動」をよく分かっておらず、被爆当日のことが書かれた生の史料だと想像していたので予想と違いました。

     実は、「被爆」や「原爆」には漠然とした怖いイメージがあって、参加することを迷いました。それでも参加してみて、被爆者が原爆投下に感謝するかのような表現に出合い、大きな衝撃を受けました。今となってはその史料を確認できないし、逆説的な言い方をしたのか、本当に被爆者が言ったのかを含めて分かりません。

     しかし、私は「そう言わざるを得ない心理状況になるのはなぜ?」「(被爆者が)そんなこと言える?」と、自問自答しました。その答えを見つけたいという思いが、今でも史料整理に関わり続けている理由です。今もまだ答えを探している最中です。

     

    ●人として生きるために

     

     ――文化祭では多くの人が展示に見入っていましたね。

     被爆者への聞き取り調査を行った1977年と85年当時の被爆者運動に焦点を当て、調査し発表しました。

     厚生大臣(当時)の諮問機関、原爆被爆者対策基本問題懇談会(基本懇)が80年12月にまとめた「原爆被爆者対策の基本理念及び基本的在り方について」という意見書があります。そこには「戦争によって何らかの犠牲を余儀なくされたとしても、それは、国をあげての戦争による『一般の犠牲』として、すべての国民がひとしく受忍しなければならない」という「受忍論」が記されていて、日本被団協は抗議します。

     この受忍論に触れた時、「なんで(被爆者に)こんなことが言えるの?」と憤る気持ちがこみ上げてきました。

     85年、受忍論に対して日本被団協は大規模な被爆者調査を行うのですが、「被爆したことで『こんな苦しみをうけるくらいなら、死んだ方がましだ』や『いっそあの時、死んでいた方がよかった』と思ったことはあるか」など、踏み込んだ質問をしています。

     被爆者が言いたくないことまで心の内を明かさないと(被爆者の訴えは)届かない。(そういう状況は)本来、あってはいけないのに、何十年を経ても踏み込んだ問いを投げかけなければならない。

     一方、調査をした被爆者たちも(被爆という)受けたくない被害を受けた上で、人として生きるためには運動しなければいけなかったのだろうなと思いました。

     

    ●周りの雰囲気変えたい

     

     ――被爆者運動をテーマに卒業論文を書いていると聞きました。周りの反応は?

     塾講師のアルバイトをしていますが、原爆のことを知らない中学生が多い。教科書を見ても原爆のことは見開き1ページくらいで、原爆投下時のことは3行ほど。それで原爆のことを知るのは難しいと思います。

     教育実習に行った時に、生徒から「戦争の歴史に興味がある」と言われ、被爆者の話をすると、「そんなにひどいことがあったんだ」と聞いてくれました。子どもたちに原爆や被爆者のことを知ってほしいと思います。

     同世代では、「(原爆投下日を)知らなーい」と軽く笑う雰囲気があって、疑問を感じます。一方で、被爆者のことをうまく話せない私もいます。卒論テーマ発表の時には、重い雰囲気を感じて「被爆者のことをテーマにしています」の一言しか言えませんでした。

     ペリー来航のことなどは会話の中で(気軽に)話せるのに、被爆者のことになると声が小さくなってしまう。大きな声で言える自分になれたらいいな、自分の感覚や周りの空気を変えていけたらいいなと思います。