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    インタビュー/〈被爆者運動を継承する〉上/「伝えるのは歴史学者の責務です」/昭和女子大学歴史文化学科准教授 松田忍さん

     広島、長崎に原爆が投下されて74年。被爆者の平均年齢は82歳を超えており、被爆者運動をどう継承するのかが大きな課題となっている。そんな中、昭和女子大学では日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の史料整理・調査を通じて、被爆者が生きてきた道のりを学ぶ活動に学生たちが取り組んでいる。中心メンバーの松田忍准教授(歴史学・43)に話を聞いた。

     

     ――歴史学の分野で被爆者運動を捉える試みは珍しいですね。

     松田 歴史学とは、残された史料を後世の人たちに伝えられる形にしていく学問。史料が書かれた時代背景や意図・意味、その後(社会に)どんな影響を与えたのかを調べます。当時どんな会話がなされていたのかを想像して、史料と史料をつないでいくのです。

     私の知る限りでは、歴史学として被爆者運動を捉えるのは初の試みだと思います。歴史学者として誰かがやっておいた方がいいのかなと思っています。

     

    ●被爆者の人生丸ごと

     

     ――日本被団協の史料整理に関わるきっかけは?

     7年前、「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」の栗原淑江さんから「日本被団協の史料整理、保存作業を手伝ってほしい」と言われたのが、きっかけです。

     「生の史料」に学生たちが触れる機会は貴重です。歴史学を学ぶ学生として史料を整理し保存する過程を体験してほしいと思いました。実習の場として、翌年「継承する会」の作業場へ行って史料整理する「史料整理会」を立ち上げました。18年度からは、大学のプロジェクトの一つとして「戦後史史料を後世に伝えるプロジェクト」を始めました。

     ――大学の文化祭(今年11月)で調査の成果を展示しましたね。

     文化祭での発表は大きな節目です。今年の展示テーマは「被爆者の『発見』」となりましたが、テーマに行き着くまでに、学生たちと多くの議論をしました。

    例えば、1977年に日本被団協が中心となり、被爆者に聞き取りをした際にまとめられた「生活史調査」分析表という史料をメンバーで読み合わせました。1年生を中心に、そこから気になる言葉を抜き出し、この調査が何を明らかにしたのかを話し合いました。

     学生たちは「(原爆で亡くなっていく人を)助けられなかったとか、罪の意識を持っている人が多い」「罪の意識だけではないのでは?」などと、意見を出し合い、私も学生と一緒に思考を重ねてきました。

     原爆被害については、投下当日にあったことや被爆後の健康被害に注目しがちですが、77年調査は「被爆者の人生丸ごと」を捉えようとしたことに大きな意味があったと結論づけ、展示に反映しました。

     そして、77年調査において被爆者の内面にまで踏み込み、被爆者の健康、生活、こころに対して、原爆が与えた影響が丸ごと明らかにされたからこそ、その後の日本被団協の運動が力強く展開したのだ、というのが私たちの展示の軸になりました。

     

    ●語ることができる形に

     

     ――史料と向き合い、感じたことは?

     被爆者運動は、被爆者が当たり前に政府に立ち向かっていったというわけではなくて、その時々の被爆者の意見を集約する中で、運動の方向性をつくり、彼ら自身が選び取ってきた歴史だと感じています。そこが面白い。

     歴史学として、被爆者運動を、なぜ後世に語り継ぐべきなのか――その意味を発見し、検証する作業を学生たちとしています。後世の人たちが、なぜ被爆者問題を考えなければいけないのか、その答えを見つけたい。

     被爆者運動に携わった方たちが亡くなったとしても、原爆体験や被爆者運動が50年後、100年後まで「語ることができる形」になっていれば、継承はできるはずです。それは歴史学者がやるべき仕事です。これからも、被爆者運動を客観的に見て、「形」にし、調査を進めていきます。