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    友好の象徴、機関車保存を/国労OBらがカンパ訴え/ベトナムに送った「全交運号」

     ベトナム戦争後、国の復興に役立ててもらおうと、日本の労働組合がベトナムにディーゼル機関車を送る運動があった。その機関車は今、すっかりさびた状態ながら、首都ハノイにある車両工場の敷地内に置かれている。当時、運動に関わった国労OBらが「きれいに修理した上で両国労働者の交流と絆のシンボルとして残したい」と保存の取り組みを進め、広くカンパを呼び掛けている。

     日本の労働者が送ったのは、国鉄DD11型ディーゼル機関車。1955年前後に製造され、貨車の入れ換えに使われた。交通運輸労組で作る全日本交通運輸労組協議会(全交運)が決定し、廃車処分になっていた機関車を国鉄から購入。国労組合員を中心に修理し、1977年2月に完成させた。そのための資金カンパ運動も組織し、120万円を集めたという。

     国労の機関紙「国鉄新聞」(77年2月6日付)は「ベトナムへの贈り物/〃全交運号〃が完成/国労鷹取工場支部/仲間の努力みのる」の見出しで報じている。「昼休みも休まずに作り上げた」という、労働者の声も紹介している。

     その後、機関車はベトナムで活躍し、2002年に「引退」したという。

     

    ●ベトナム反戦ではスト

     

     第一線を離れた機関車を〃発見〃したのは、日本ベトナム友好協会東日本鉄道支部のメンバーだった。同支部の藤野節会長(72)は「6年前、ベトナム旅行の中で鉄道関係者と会い、そういえばあの機関車はどうなったのだろうと尋ねたら、ハノイの工場にあるとの返事。見に行ったら、草ぼうぼうの中に野ざらし状態でさびていた。きれいにして保存したいと思った」。

     藤野さんは国労OBで、退職前は東日本本部の副委員長。ベトナム戦争当時は青年部に所属して活動していた。

     「70年代前半はベトナム戦争に反対してデモや集会をやっていた。米軍は沖縄を重要な出撃拠点にして、本土では国鉄がガソリンなどの物資を米軍に輸送していた。自分たちにできることは、その輸送を止めることだと考え、ストライキも打った」

     

    ●国労本部も協力

     

     藤野さんたちは、ベトナムの鉄道会社労使や政府と話し合い、機関車を修理して保存する方向で合意。現在、資金集めのカンパを呼び掛けている。国労本部も協力を約束したという。

     カンパの送り先は次の通り

     

     【ゆうちょ銀行口座】00840‐4‐154538【名義】日本ベトナム友好協会東日本鉄道支部

     

     〈用語解説〉ベトナム戦争

     

     米政府が1964年8月のトンキン湾事件を口実に北ベトナム(ベトナム民主共和国)に公然と軍事攻撃を開始した侵略戦争。それまでもベトナム南部では米国と南ベトナム政権は、解放戦線と交戦状態にありましたが、以後、新たな段階に突入しました。日本では社会党や共産党、総評など137団体の呼び掛けで侵略戦争反対の集会が開かれ、国際的にも反戦運動が広がりました。米国は最大54万人の兵力を投入したものの、劣勢となり撤退。75年4月30日に北ベトナム軍を主力とする解放勢力が南の首都サイゴン(現ホーチミン市)に無血入場し、戦争に終止符が打たれました。

     

    〈写真〉ハノイで野ざらしのDD11型ディーゼル機関車 日本ベトナム友好協会東日本鉄道支部提供

     

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    コメント: 1
    • #1

      日本ベトナム友好協会東日本鉄道支部 事務局長 緒方 博 (火曜日, 23 6月 2020 10:30)

      掲載ありがとうございました❗
      こうした運動が広まり、友好に繋がれば幸いです。