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    チャールトン選手の死を悼む/英労働界で広がる声

     英国サッカーの名選手だったジャッキー・チャールトンの死(7月10日)を悼む声が、労働界で静かに広がっている。

     閉山反対でサッチャー政権と全面対決し、敗北を喫した炭鉱労組の長期スト(1984~85)の支持者だったことを、関係者は何年たっても忘れていないのだ。当時の委員長だったアーサー・スカーギルは「ピケ隊のために自家用車を貸してくれた。妻は組合員食堂で炊き出しをした」と回顧する。

     

    ●炭鉱ストも支援

     

     イングランド北東部の炭鉱の村で、炭鉱労働者の子として生まれた。15歳で学校を中退。炭鉱で働くことも考えたが、名門リーズユナイテッドにテスト生としてスカウトされ、2年後にプロデビューを果たした。21年間プレーし、773試合に出場。1964年のワールドカップでは、弟のボビー・チャールトンとともにイングランド代表として優勝に貢献。引退後は、アイルランドの代表監督などを務めた。

     サッカー選手が政治的な発言を控えていた70年代に、極右のレイシスト団体・国民戦線の台頭に警鐘を発した数少ない一人としても知られる。どんなに成功しても、出身地域の労働祭に顔を出すなど、自分のルーツを忘れない労働者階級の人だった。生前は、地元のパブでよく、炭鉱労働者たちと談笑していたという。享年85歳。(国際運輸労連政策部長 浦田誠)