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    〈働く現場から〉コロナ相談村に参加して/ジャーナリスト 東海林智

     昨年末から年始にかけて、全労連が中心となり日比谷公園(東京千代田区)で行われた「何でも相談会」と、労働弁護士やナショナルセンターを越えた労組などが大久保公園(新宿区)で実施した「年越し支援コロナ被害相談村」にボランティアとして関わった。二つの取り組みを通して見えてきた「この国の雇用のありよう」について報告したい。

     

    ●「派遣村」と同じ構図

     

     二つの取り組みを見ると、2008年末から09年年始にかけて日比谷公園で行われた「年越し派遣村」を思い出す方もいるだろう。これは、08年のリーマンショック後に起きた、製造業を中心とする派遣労働者の「派遣切り」(雇い止め)横行で、仕事や住居を失った労働者を支援した活動だ。この時も、実行委員会の一端を担い、参加した。困難を抱えた労働者を労働者が中心となり支援しようという共通の目的を持つ取り組みであり、今回メディアは「派遣村の再現」と報じた。

     10年を超えて二つの現場に立ち会い、あぜんとしたのは、労働者が困窮する構図が全く同じ、つまり何も改善されていなかったことだ。前回も、今回も、困窮して相談に来るのは、不安定雇用を強いられている人たちだ。前回は、多くが製造業務での派遣労働者や日雇い派遣の労働者で、ほぼ全員が非正規労働者だった。その構図は今回も変わりがなかった。

     

    ●寝たら死んでしまう

     

     30代の男性は派遣会社の寮に住んで物流の仕事で働いていた。日給は8千円。だが、紹介される仕事が少なくなり、寮を出ていくように言われた。毎日仕事があるわけでもないのに寮費は8万円取られ、貯蓄はほとんどできなかった。そんな状況で追い出され、住居付きの仕事を探すしかなかった。

     上野で声をかけられて、千葉県内の解体作業の飯場(はんば)に入る。飯場代を引いても月に10万円にはなると言われたが、新型コロナの影響でオリンピックが延期になり、仕事は月に4日ぐらいしかない。飯場代が〃借金〃のように積み重なることを恐れ、飯場を逃げ出した。

     しかし、手元には1万円しかなく、ネットカフェで寝泊まりするも、あっという間に現金が底をついた。その後は、真冬に野宿を強いられた。夜、安売り店で買ったカイロを体に貼り付け、眠ろうとしたが、寒くて眠れない。仕方ないので、夜通し歩く。少しでもぬくもりを求め、繁華街を歩いた。朝になるまで、歩き通す。

     「寝たら死んでしまうでしょ」。毎晩命がけ。朝になったら、公的施設に入って暖を取る。「図書館が静かだし、温かいしベストだった」。だが、その〃憩いの場〃も年末年始には閉じてしまう。絶望していた時にネットニュースで相談村を知り、たどりついた。

     

    ●所持金が300円に

     

     食事も取らずに残しておいた虎の子の500円のうち、200円を使い相談村にたどり着いた。村でもらった弁当が3日ぶりの食事だった。最後に食べたのは五つ100円のクリームパンだったという。

     彼が特別なケースではない。彼のように飯場で搾取されたり、日雇い派遣で働いて困窮したりしている例が多数あった。そして、新たな不安定雇用も。(つづく)