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    〈建設アスベスト被害救済を!〉「夫を、息子を、返してほしい」/東京1陣訴訟/最高裁弁論で原告が訴え

     最高裁は2月25日、建設アスベスト訴訟東京1陣(被災原告305人)について上告審弁論を開いた。同訴訟は昨年末、建設アスベスト訴訟で初めて国の責任が確定したが、建材メーカーの責任については双方の上告申し立てを受理し、弁論が行われた。

     原告団長と遺族原告の意見陳述(要旨)を紹介する。

     

    どうしても許せない/宮島和男さん(原告団長、電工・一人親方)

     (最高裁が)国の上告を棄却したという知らせを聞いた時、心から喜ぶことはできませんでした。一緒に裁判を起こした原告の多くが亡くなっているからです。国の責任が確定するまで約12年半かかりました。今日まで150人以上が国の責任の確定を知ることなく亡くなりました。

     私は(アスベストによる)肺がんと診断されました。1、2分歩くと息が切れます。最近は新型コロナウイルス対策でマスクを着けると息苦しさが倍増します。抗がん剤治療は合計4回受け、体重は38キロにまで減りました。

      ただでさえ病気で大変なのに、原告として立ち上がり、裁判まで抱えたくはありません。どうして300人以上が原告となり、10年以上も闘うのでしょうか?

      それは、この被害を生み出した国や建材メーカーをどうしても許すことができないからです。二度とこのような被害を起こしてはならないと願っているからです。

      最高裁に上告してからも次々と原告の訃報を耳にします。それでも立ち止まることはできません。建材メーカーの責任が認められていないからです。

     

    〈写真〉弁論後の記者会見で話す宮島さん(2月25日、都内)

     

    2人に謝ってほしい/大坂春子さん(遺族原告)

     夫と息子の死は私にとって耐えがたいもので、裁判を闘ってきた12年間は本当につらいものでした。大工だった夫と息子をアスベストで亡くしました。夫・大坂金雄は65歳の時に中皮腫で、息子・大坂誠は夫と同じ病名で、46歳の若さでした。

     夫は(病気の)痛みに苦しみ続け2003年5月、私と手をつないで話している最中に突然黙り込み、首をがくっと下げて、目の前で死んでしまいました。

      息子は15歳で大工になり、夫と一緒に仕事をするようになりました。13年2月、中皮腫を患っていることが分かり、私は「息子まで持っていかないで」と正気ではいられませんでした。

     ある日の午後、息子は血を吐き、泣きながら悔しそうな顔で「お母さん、俺、まだ死にたくないよ。死にたくないよ」と繰り返し言うのです。私はかける言葉が見つからず、息子の名前を呼び、手を握り続けることしかできませんでした。息子は3時間ほど必死で病気と闘って亡くなりました。

     笑いの絶えないわが家だったのに今では私1人。2人と一緒に働いていた私の肺にもアスベストによる影があり不安でたまりません。アスベストの病気が発症する前に死んでしまいたいと思っています。

     私はアスベストで愛する2人を持っていかれました。夫を返してほしい、息子を返してほしい。それができないのなら、せめて(建材メーカーは)責任を認めて2人に謝ってほしい。心からの願いです。

     

    〈写真〉弁論で意見陳述をした大坂さん(2月25日、都内)