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    〈日本国憲法施行74年〉命も権利も平和も危うい/憲法の視点で菅政権を検証

     昨秋に発足した菅政権。その後の推移を見ると、政治の大前提とするべき日本国憲法が軽視されているのは明らか。あらためて、憲法の視点で菅政治を検証してみました。

     

    (1)コロナ禍拡大への無策/25条(生存権保障)

     

     憲法25条は、生存権を保障しています。ところが、命の危機を伴う新型コロナウイルス感染の広がりに対し、菅政権の無策ぶりが目に余ります。

     PCR検査は今に至るまで不十分なまま。緊急事態宣言を発令しても、中身は飲食店への時短営業要請が中心で、感染抑え込みにはほど遠い状況。自粛を求められた営業と生活の補償は不十分で、頼みの綱だったワクチンの確保も大幅に遅れるなど失態を演じました。

     日本では既に1万人近くが亡くなっています。外国より少ないことは言い訳になりません。真剣に感染対策をやろうとしない姿勢こそが大問題です。

     背景として、「GoToキャンペーン」にこだわるなど目先の経済と、東京五輪の開催を重視する政権の思惑が透けて見えます。命を軽視する菅首相らに政権を任せておくわけにはいきません。

     

    (2)国会審議をないがしろ/41条(国権の最高機関)

     

     41条は、国会を「国権の最高機関」と定めています。国民の代表である議員による意思決定を最大限尊重すべきとした条文です。

     実際はどうでしょうか。菅政権が目玉政策と位置付けるデジタル庁創設などの関連法案は、衆院でたった27時間審議しただけ。63本もの関連法案を束ね、一気呵成(かせい)に採択に持ち込む手法は、事実上の審議封じです。個人情報の保護規制が緩められる恐れについても、政府は疑問に答えない姿勢を貫きました。

     15カ国による地域的な包括的経済連携協定(RCEP)に至っては、衆院で3日、数時間の審議で通過させてしまいました。ただでさえ低い日本の食糧自給率を関税撤廃による輸入増で低下させる懸念があるにもかかわらずです。

     国会軽視の姿勢は安倍前政権の時から。「モリ・カケ・桜」の疑惑に関して安倍前首相は118回もの虚偽答弁を重ねました。国会に出すべき資料の隠蔽(いんぺい)や改ざんも明らかに。国民の代表をないがしろにし続けました。議会で多数を占める政権与党の横暴であり、菅政権はその路線を忠実に継承しています。

     

    (3)個人より家制度を重視/13条(個人の尊重)

     

     13条は「すべて国民は、個人として尊重される」と定めています。しかし、自民党や菅政権は個人よりも「家制度」の方が大事だと考えているようです。

     例えば、選択的夫婦別姓制度。夫婦に同姓を強要しているのは世界でも日本だけといわれます。夫婦で別の姓を名乗ることを選択肢として認めようという政策に、政府・自民党は後ろ向きです。

     それは、別姓が「家族のまとまりを壊す」「家族を崩壊させる」などの論調が自民党の内外にあるためです。

     独身時に使ってきた姓は人格権の一部。結婚後も使い続けるのは権利であり、それを保障するのは世界の常識です。家族全員を同じ姓に統一する発想は戦前の名残。家父長を頂点とする「家制度」へのこだわりは、婚姻を含めて個人の自由な意思を認めていなかった時代をほうふつとさせます。

     そうした古い家族制度を良しとする思想・考え方では、共働き夫婦や性的少数者(LGBT)の婚姻など多様化する家族の形に対応できないでしょう。

     

    (4)敵基地を攻撃できる?/9条(戦争の放棄)

     

     アジア太平洋戦争では2千万人以上の犠牲者が出ました。その反省から生まれたのが憲法9条(戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認)です。今、平和憲法を持つ日本は菅政権の下で、敵基地攻撃能力を備えつつあります。

     9条は陸・海・空の戦力を持たないと規定しましたが、歴代政府は必要最小限度の自衛力保持は可能と解釈してきました。専守防衛の考え方です。

     敵基地攻撃能力は自国が攻撃を受けていないのに、相手国をミサイルなどの兵器でたたくということ。専守防衛の範囲を踏み越え、戦闘開始につながる恐れが大です。

     菅政権は21年度予算に、長距離巡行ミサイルや同ミサイルを搭載する戦闘機の開発・取得費を盛り込みました。護衛艦の空母化に向けた改修費も引き続き計上しています。

     安倍前政権は、米国などの戦争に日本が参加する集団的自衛権の行使に向け、憲法解釈の変更と安全保障関連法を強行。海外での戦闘行為に前のめりの姿勢は、菅政権にも引き継がれ、憲法9条をなきものにしようとしています。

     

    (5)学術会議の人事に介入/23条(学問の自由)

     

     憲法に「学問の自由は、これを保障する」との条文を規定したのは、9条と同様、戦争と専制政治を招いた戦前への反省を踏まえたためです。

     1933年に起きた滝川事件は、文部省が滝川幸辰京都大学教授を危険思想の持ち主だと決めつけ、京大に圧力をかけて休職処分にした思想弾圧事件でした。学問・研究の方向を政府の意のままにし、戦争遂行に協力させるのが目的で、時代はその方向に進みました。

     菅首相は就任早々、日本学術会議が推薦した新会員候補6人の任命を拒否しました。露骨な学術団体人事への介入です。

     過去の国会答弁では、学術会議が推薦した会員を自動的に任命することが約束されています。首相には拒否権限がないにもかかわらず、ゴリ押したのです。

     日本学術会議は、軍事研究を進める政府の施策に反対してきました。任命拒否は、そうした姿勢の変質を狙ったものとみられています。

     政府にとって耳の痛い意見であっても、受け止めるのが民主主義国家の姿です。気にいらないから排除するというのは、大人げないという以上に危険です。

     

    〈写真〉総がかり行動実行委の街頭宣伝。「コロナ対策で命と暮らしを大切にしない菅政権を退陣させよう」とアピールした(4月15日、都内)

     

    〈写真〉街を行き交う人に「STOP!改憲発議」と訴える総がかり行動実行委のメンバー(4月15日、都内)